霊峯位山くらいやま登山記



パワースポットの旅、のはずだったのですが…
これじゃあ普通の旅行記やんか。
面白さを期待している方、ごめんなさい。

飛騨に位山というすごいパワースポットがあるらしい、という話がチラチラ聞こえて来たのは、この夏ごろだったろうか。最初はHP を通じて知り合ったHさんが教えてくれた。Hさんは深い独特な瞳をもった人で、口数少なく控え目だが、彼の情報はいつも丁寧で正確だ。Hさんがいいというなら間違いない。ここでお願い事をすると叶うのだそうだ。そして身体的な浄化にもとてもいい場所なのだとか。

神代文字展でAちゃんに出会ってから、彼女がまたくわしい情報をくれた。そして出発直前に分かったのだが、今回一緒に行ったオランディアとAちゃんは大の仲好しらしいのだ。なんだか芋蔓式にいろいろなことがつながって、位山に登らせていただくことになった。

今回同行した友人のオランディアは、流れ星さんとも私とも仲好しのキュートな女性だ。名前をどうしようかと相談したら、守護天使の名前が「オランディア」だからそれがいいかな、とのことで、略して「蘭ちゃん」にしたらかわいい、と思ったのですが、略すなら「カタカナでオランちゃんにしてほしい」とのこと。このやりとりから「お蘭」はあくまでも違う、という、とてもやさしくて穏やかな言葉だけれど、決して譲れない一線を感じた私は、やはり彼女をここでは「オランディア」と呼ぶことにした。写真を見ていただければ分かるとおり、彼女は金髪で碧眼でもくりくり巻き毛でも、宝塚歌劇出身でもありませんので、念のため。

流れ星さんと、オランディアと私の3人は、午前1時過ぎに出発した。車の少ない夜中に走って時間を稼ぎ、日帰りするためだ。
私は運転が出来ないので、いつものようにお弁当の当番だ。

今回のメニュー
おにぎりは生たらこ入りと、シソワカメ梅干し入りの二種類を4合分用意した。おかずは運転しながらでも食べられるようにシンプルだ。キュウリのスティック、ブロッコリーをゆでただけ、ソーセージ2袋もゆでただけ、リンゴ3ヶは皮をむいて塩水につけておく。それらをジップロックに入れていく。これなら水分が漏れないし、食べれば嵩が減るので楽だ。
それから出発前に「二人ともすごーーーくお腹が空いている」というメールが入ったので、大きなサンドイッチを2つ追加。冷凍庫にいれておいた玄米食パンをフライパンで焼いて解凍。厚みを半分にして、間にレタスを山盛りと、チーズいりの卵焼きと、冷蔵庫をあさってカニカマボコを見つけたのでそれを入れる。
そしてポットに黒砂糖入りのカフェオレをたっぷり用意した。


実は位山が登山だと分かった時、私は勝手に、「流れ星さんは車でお留守番だな」と思った。彼は片足が義足で、階段を登るのも私たちよりも遙かに大変なので、山道を登って降りるなどということはちょっと無理だと思った。義足になって以来、一度も山を登ったことがないというし、何よりもいつも30分も歩くとかなり足が痛そうなので、どう考えても不可能だ。登ったものの動けなくなったりしたら、あんなにでかい身体をしている人を担ぐなどということは、か弱い女性二人に出来るものではないし。

ところが流れ星さんはどうも登る気らしい。9月に北海道の天然自然の露天風呂(北海道食い倒れ紀行)に入るために、数メートルの崖を上り下りしたのだが、その経験がプラスになっているのかもしれない。あるいは先日言った中村文昭さんの講演会で「やる前に出来ない理由を言うな」と言われたことが響いたのかもしれない。
とにかく本人がその気なので、私も覚悟を決めた。崖から転げ落ちる時には一人で落ちてもらおう。私たちが巻き添えになっては、救援隊も呼べない。

高速道路をガンガン走る。夜中なのでさすがに車も少ない。助手席に座る者のマナーは運転している人と話をすることだ、と言われたことがあるのだが、そのうち私はうたた寝。途中でオランディアが流れ星さんと運転を交代していたのはかすかに記憶がある。それにしばらく車を止めて、みんな仮眠もしたようだった。体力のない私は、運転をしてくれている二人に申し訳ないなあと思いながらも、寝れる時にはひたすら寝ることにした(私が一番年上なんだからゆるしてね)。
私が夢とうつつの境をさまよっているうちに、いつの間にかこれ以上は車では上れない、という所まで来た。時間は8時。空は曇り。私はなんだか変な夢を見ていたような気がする。もう一度寝直したいが、そうもいかない。しかたなくシートから身体を引きはがし、車から降りる。

山を下りてから聞いたことなのだが(恐ろしくてそれまで言えなかった?)、こんな事があったらしい。街灯もない真っ暗な山道を必死で走っている時、私は何の遠慮もなくのんきに寝ていた。突然「うう…  んんうあー……」と意味不明の不気味な声が密かに響き、地の底からわき出るような気配にもしや地縛霊か…と運転する二人が身をこわばらせると、なんと私の寝言だったらしい。
「それなら起こしてくれたらいいのに」と言うと、「二人で何度も起こしたのよ。何かが乗り移ってるみたいだったから。でも起きなかったのよ」とオランディア。どうりで寝覚めが悪かったはずだ。そして「着いたよ。もう登るよ」と流れ星さんが起こしてくれた時には「無理」の一言でさらに一時間眠り続けたとか。私の半分も寝ていない二人ががんばっているのに、ごめんなさいm(_"_)m。
車から降りると、Aちゃんに聞いていた球体が見える。なるほど、ドラえもんに似ている(*^.^*)。直径3メートルほどの球体に、3本のアンテナのようなものが出ていて、なんともかわいらしい。これが太陽神殿で、天照日の大神様らしい。太陽神なので球体になっているのだそうだ。
Aちゃん情報によると、「天照日の大神様は宇宙神で、宇宙の中心的意識で、宇宙の銀河系や、他の銀河系にまで影響を与えている神様だそうです。善も悪ももっている神様だそうです。竹内子文献にも出てくるそうですよ。」ということらしい。そのあまりのスケールの大きさは、私にはまったく想像もつかない。
それに狛犬の代りに人面の龍があり、オランディアに言われて見てみると、片方は「あ」で片方は「うん」と言っている口の形だ。私はこれがとても気に入った。ドラえもんもかわいいけれど、人面龍の難しげな顔が、なんとも楽しい。


私たちはそれぞれドラえもん様にお参りをした。気持ちが引き締まる。ここから普通に登って1時間と聞いている。私たちはたぶん3時間はかかるだろう。私はこの山に登らせていただくご挨拶と感謝、そして頂上まで登らせていただいて、無事に下山させていただくことをお願いした。

さて、いよいよ登り始める。まずは全員、オーバードライブを2錠づつ飲んだ。これなくして山登りは考えられない。
登り口にある地図によると、最初の3分の2くらいまでがきつい登りで、最後はすこしなだらかになるようだ。途中にたくさんの岩盤があるらしい。
なるほど、さいしょからきつい登りだ。オランディアが先頭で足場のいい所と悪い所を確認して流れ星さんに伝える。流れ星さんは杖で身体を支えながら慎重に足を運ぶ。義足の足は感覚がないので、体重をかけても大丈夫な状態なのかの判断が難しいらしい。私は流れ星さんの後から、義足の足がすべった時に支えるためにずっと足元を見て登る。


数分もしないうちに、これは大変な登山だということが分かった。仮に登りきったとしても、帰りに降りられるのだろうか。今登った坂を振り返ってみると、私たちは途方もない事をしようとしているのだろうか、と頭がくらくらした。振り返ると不安になるので、登ることしか考えないことにした。それに「たった今、流れ星さんがどこに足を置き、どんな状態か」という所から意識が外れると、すべったり足を踏み外したり、必ずヒヤッとするような事が起きた。
「もう一本杖がいるね、どこかにいい枝はないかなあ」とオランディアがつぶやく。このあたりは地面が湿気ていて、腐りかけた木の枝しかない。難しいなあ、と思っていると、なんとオランディアのすぐ目の前にすばらしく丁度いい枝が落ちていた。乾いていて、太くて丈夫で、長さも流れ星さんの身長にぴったりあう。こんなことが実際に起きるのだ。驚いた。私たちは山の妖精さんたちのプレゼントを感謝して受け取った。私たちは守られている。きっと無事に帰れる、と確信した。
座り心地のよさそうな岩があったり、少し開けた場所があると、こまめに休憩をとった。そのたびにオーバードライブをみんなで飲む。そして不思議な形の木々を眺めたり、奇妙な岩盤の写真を撮ったりした。

大きな岩盤の上に木が生えている。根っこが岩盤を覆うようにして地面に届いている。木が生えていて、その下の岩が何かの理由で隆起した、ということも考えたが、岩は70万年前からあるそうで、木はたぶん20年くらいのものだ。だからそれもあり得ない。

岩からずり落ちて枯れて横たわっている木もある。屋久島に行った時にも似た木をみたけれど、全く違うという感じがする。屋久島では「木」が神に近い存在だと感じたが、ここでは「岩」が神に近いのだ。
オランディアがAちゃんに聞いてくれた情報によると、この岩盤にはあちこちに神代の文字が刻まれているのだそうだ。そう思って岩を眺めると、妙なスジがたくさんある。自然にこんな模様になるだろうか? でもこれが神代の文字だ、と言ってしまう自信もない。が、自信たっぷりに言っても誰も聞いていないので、言いたい放題だ。直線の妙な亀裂もたくさんある。神代文字は苔の下になってしまっている所もあるらしい。オランディアと私はにわか考古学者になり、あれこれ想像をたくましくした。

休んではオーバードライブを飲み、岩盤を調査し、そしてまた少し登る。
風が木々の間を吹き抜けていく。風の通り道があるらしい。あちらの木々をそよがせた風は向こうに通り抜け、しばらくするとこちらの木々をなびかせる風が吹く。葉擦れの音は、まるで海岸線を洗う波の音のように響く。風を感じていると、不安も疲れも消えてしまい、ただ、私たちが今この山に登らせて頂いているという単純な現実だけが、浮き彫りになるようだった。
流れ星さんは、思うようにならない偽足にいらつく。そんな時は手頃な岩を見つけて一息いれて、山の自然を味わう。
私は出発前にオランディアにちゃんと話をしていなかったことを急に思い出した。オランディアの力を借りなければこの山登りが実現しないこと、それはかなり大変だろうこと、そのことをお願いしていない。そう思ってオランディアの顔を見ると、彼女の顔にはイライラも怒りも不満も、何もない。ただあたたかく優しいまなざしがあった。私は何も言う必要がないことを悟った。

そして道がなだらかになってきた。あの地図によればもうすぐ頂上だ。もう3分の2の難所は越えたのだ。といっても滑りやすいことに変わりはない。でも嬉しかった。
頂上に到着。私たちはH さんに聞いていたパワースポットをさがした。1ヶ所はすぐに分かったが、もう1ヶ所がよくわからない。携帯がなんとか通じるのでAちゃんにも電話をして聞いてみた。彼女は知らないらしい。Aちゃんの声はとてもうれしそうで、喜びの波動があたりの木々を振るわせる。まるで一緒に登ってきたような気持ちになった。
気のいい場所を探してウロウロするうちに、流れ星さんもいつのまにかどこかに行ってしまった。ここにはそれぞれの場所があるのかもしれない、とふと思った。
そしてまたまたAちゃん情報によると「位山のご神体は、天照日の大神、天の常立大神、国常立大神の3体です。」とのこと。そして「国常立大神は、うしとらの金神と言われ、鬼門の神だそうです。日本の厳しい神として、働かれた神さまです。乗鞍と位山の両方で、龍神を使って、世界のために働かれた尊い神で、日本の中心となって、働かれた神です。」うしとらの金神といいうのは、大本で聞いたような気がするのだけれど…「この神の教えが、「ひふみ神示」だそうです。」おお。あの有名な「ひふみ神示」まで登場だ。私は訳も分からずうれしい。そんなすごい場に来ているのか。
みんな木々の間をひとしきりウロウロして、気がすんだので昼食にした。持ってきたお弁当を広げて食べる。どこで食べても、おにぎりは不思議とおいしい。今にも降り出しそうな空模様が心配だが、私たちは守られている。きっと雨は降らない。

頂上の近くに「天の泉」というお水が湧いている場所があるらしい。それを聞いていたので、私たちはカラのペットボトルをリュックに入れてきた。オランディアは、Aちゃんが4本かついで降りたというので、がんばって5本に水を詰めて背負うと言う。後から聞いた話だが、オランディアは私以上に体力がなく、ベットボトル1本でも持ちたくない人なのだそうだ。ただ家族に1本づつプレゼントしたい一心で、がんばったらしい。

私は体力がないので最初から諦めて2本だけにした。本当はこれも諦めようかと思っていたのだが、ダメだったら途中で捨てる覚悟で背負うことにした。
ここの水は少し堅い味がする。頂上近くからお水が湧くのも不思議だ。位山の霊気をたっぷりと吸ったお水なのだと思うと、少々の肩の痛さも耐えられる。
山を下りるのは、実は登るよりもきつい。時間的には登るよりも早いが、危険も多い。足をどこに下ろすかの判断がとても重要になる。流れ星さんは私の心配も知らず、さわやかな顔をしている。登ったのだから降りるしかない、と腹をくくったのだろう。オランディアもAちゃんに負けじと背負ったお水をモノともせず、淡々と足を運ぶ。

下りでは、何度も最悪の事態が頭をよぎった。ここで流れ星さんが足を滑らせたら、ヘリコプターに来てもらわなければならないだろう。こは携帯が圏外なので、オランディアか私のどちらかが先に降りて、救援を呼ばなければならない。ヘリコプターが来るまでどのくらいの時間がかかるのだろう。山猿も真っ青になるくらいに敏捷で屈強なお兄ちゃんが何人か来て、流れ星さんにロープか何かをくくりつけて持ち上げるのだろうか。傷が浅ければヘリコプターは呼ばずに、その山猿真っ青の屈強なお兄ちゃん達が、彼を担いだり背負ったりするだろうか。でも山道を下るたびに身体が揺れて、流れ星さんは傷が痛んでうなり声をあげたりするだろうか。太陽神殿の所まで降りると、地元の新聞社が取材に来ていて、私たちは明日の朝刊に写真入りで載るかもしれない。インタビューにはなんと答えようか。「義足の人とこんな少人数で登るなんて、無謀だとは思わなかったのですか?」などとつっこまれたら、オランディアと二人で泣きながらウニャウニャ言ってごまかそうか…
意識がそんな妄想に走ると、自分の体力がとたんに消耗するのが分かった。足の運びが雑になり、背中の水が重くなる。それに気づくとあわてて今ここの意識に戻って足下を見つめる。この一歩に意識を合わせる。と、背中の重さも全く気にならなくなる。魔法のようだ。
少し降りては休憩してオーバードライブを飲み、風に吹かれて鳥の声を聴く。岩の割れ目を探求して写真も撮る。風に吹かれて小さな草の実を見つけ、枯れ葉のささやく声を聴く。


そしてついに太陽神殿まで無事に降りてきた。まあるい頭が見えて来た時の安堵感。達成感。感謝。喜び。そして不思議と心が静かだった。
普通の人だったら、自分の思うように登れないあのような状態だと、不平や不満、イライラやため息が出るだろうと思うのだけれど、オランディアには最後までそのかけらもなかった。それが私の救いにもなった。ありがとう、オランディア。
そして何よりも流れ星さんは、がんばった。一度も弱音を吐かなかった。滑って転ぶととても辛そうだったけれど、怪我もしなかった。流れ星さんの勇気と忍耐力はすばらしかった。

オーバードライブのおかげで、ハードなわりにみな体力の消耗もダメージも少ない。ご褒美に飛騨高山のおいしいおそばと、露天風呂に行くことになった。とにかく無事に降りることができたのだから、自分たちにご褒美だ。
というか、これだけのハードな山登りの直後に、そのまま運転してもっと遊ぼうという流れ星さんの気力を見て、これはただ者ではない、と思った。しかも聞くと前日はぎりぎりまで仕事をしていて、前の晩もほとんど寝ていなかったらしいのだ。これが、人が「やる」「出来る」と心を決めた時のパワーなのだろうか。
飛騨に向かう車の中で、私は肝心なことを忘れていたことに気づいた。霊山に登ったのに、願をかけていなかったのだ。これは大失敗だ。いつもの私なら自分の野望を達成すべく、あのこともこのことも、細大漏らさず今必要と思われることはしつこいくらいに考えつくすのだ。
マヤさんがチャネリングして生み出した「ユージー」をも本気にさせるくらいに強欲な私なのに、流れ星さんの無事だけを祈り、自分のことはすっかり失念していた。でも、それでいいと思った。損をしたという気持ちは不思議となかった。オランディアがいてくれて、流れ星さんが覚悟を決めて、私たちが位山の神様に歓迎されて守られていたことだけで十分だった。自分の野望は、違う所でお願いしよう。
飛騨の町はすぐそこだった。小京都とよばれるのがうなずける美しい町並みに入る。流れ星さんの案内で、極うまだと言うおみそ屋さんで、3種類の味噌を買った。それから蕎麦屋をさがすが、どうもお目当ての店が見つからず、飛騨のラーメンも有名だしまあいいやん、ということでラーメン屋に入った。これはちょっと失敗。麺がタマゴ麺風で、醤油味のスープとの相性がイマイチだった。私ならこの麺はトマト味のスープに入れるだろう。

それから流れ星さんの知っているライブ喫茶で一休みして、露天風呂情報を仕入れる。「四十八滝温泉しぶきの湯遊湯館」という所がいいらしい。服もみなドロドロだし、とにかくお湯につかりたい。ぬくぬくのお湯に腰までつかって、とろとろに溶けるまでぼーっとしていたい。
露天風呂に到着。すでに暗くなってきている。1時間15分後に落ち合う約束で、男女ののれんの前で別れた。最近のお風呂は、脱衣用のロッカーのカギを予めもらうようになっている所が増えた。ここもそうだ。こうすれば一定以上のお客さんは入らないし、籠の取り合いもない。そしてお風呂の中は、一人用のスペースが壁で区切られていて、あまりハダカが一目にさらされないようになっている。こうすれば若い、銭湯を知らない人たちでも気軽に温泉に入れるという配慮なのだろう。

さあ、身体を洗ったら外の露天風呂でぬくぬくでとろとろだ。スベスベでツルツルだ。じんわりホヨヨンだ。オランディアと露天風呂にならんで入り、なんだかいろいろ話しをしたのだけれど、全部忘れてしまった。腰湯にしたり、打たせ湯をしてみたり、岩にすわってとりとめもなく話したり、がんばってくれた足をさすったり、幸せな時間が過ぎる。
そしてお風呂上がりのアイスクリームがうまいのよ。特別ここにしかない産地限定のソフトクリームを期待していたのだが、残念ながら普通のアイスクリームしかない。それでも湯上がりには格別だ。

日帰りの私たちは、もう帰る時間だ。飛騨の町に未練を残しながらも(うまい蕎麦屋の場所が後から判明、今度必ず行くからね)、私たちは帰路につく。
すると流れ星さんに電話がかかってきて、彼に新しい仕事が入った。ご褒美に違いない。彼は誰よりもがんばった。その上運転までしている。流れ星さんの今の一番の望みは、仕事を発展させることなのだ。それをよく知っているオランディアと私の頬がゆるむ。明日、さっそくそこに行かせていただくらしい。

それから私にも電話が入った。メキキの会の事務局からだ。私はこの会から「精神世界頭脳場」という組織を立ち上げようとしているのだけれど、そのいきさつについて、次回の大阪昼食会で話をしてくれ、という依頼だった。
(この時のいきさつは掲示板にも書かせて頂いたので、それを少しだけ変えて転載します。)
あまりのことにびっくりして
「は?? 何ですかそれは??」と言うと
「私は正しい日本語をしゃべっていますよ」
いやあ、そうじゃなくて…
「私は、我でしか話が出来ないですし、無理ですよ」と言うと
「我のままでいいですから。」
そそそそんな… あれこれ抵抗を試みたあげく
「精神世界頭脳場を発展させたいでしょ」と言われて反射的に
「はい!!」
「じゃあ、話してください」
「はい!」
あ、承知してもうた(>_<)。
というわけで、大勢の前で40分もしゃべらなければならない、というハメになってしまった。
しかし私は、位山で自分の野望を願うことはしなかったけれど、ちゃんと必要なものは手に入れたということらしい。不思議だった。

オランディアにも何かいいことが起きただろうか。この文章を書いていて気になったので、電話してみた。
「んーとね、特別形のあるものはないんだけどね」と言いながら話してくれた。彼女は、「穏やかなマインド」を手に入れたのだそうだ。イヤなことがあった時に、今までは外見は穏やかでにこやかにしながらも、心の中ではいつまでもそのことをごちゃごちゃ考えていて、そこから連想してイヤなことが膨らんでしまったりして、疲れ果てるまで考えていたのだそうだ。位山の後は「ちょっと待てよ。そのこととこのことは別のことだ」と思えるようになったのだそうだ。その「ちょっと待てよ」がとても増えて、今まではくだらないことにエネルギーを消耗していたんだな、ということに気づいたのだそうだ。
そして以前から取ろうとしていた「介護ヘルパー」の資格を、本当に取ろうと決めたらしい。ハンディキャップがあることが、どれほど大変なことなのかを目の当たりにして、もっとサポートできるようになりたい、と思ったのだそうだ。

流れ星さんは、あの後急激に仕事が忙しくなり、毎日ほとんど寝る間のない生活をしている。キャリアを積むための時期が本格的に始まったのだと思う。身体はきつそうだけれど、全く愚痴も出ないし、非常に前向きになったと思う。

私は、素直に人の話を聞けるようになった。今までは誰かと話をしていて、自分のことを少し話すと多くの人はアドバイスをくれる。そういう状況になると、「心理学をやってきてカウンセラーをしている私は、その道のプロなのよ。そんなことは知っているわ。私に何を言うつもりなのよ」「私は人をサポートする立場であって、人からサポートされるなんてことは必要ないのよ」という傲慢さが出ていたのだけれど、いつの間にかそれがほとんどなくなってきた。相手が私に向けてくれる暖かいエネルギーをただ受け取ると、その中に私に必要な何かがいつも含まれていることに気づいた。

今回はいつになく静かでまじめなレポートになった。位山というのは、そういう所なのかもしれない。ありがとう、位山。


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