北海道 食い倒れ紀行
2003/09

いざ出発

私と流れ星さんは北海道トマムでの十牛図ワークショップを終えて、せっかく来たのでパワースポットを探検することにした。
私たちは友人からの情報で、然別湖に直行した。誰に聞いてもそこは「すごい」と言うのだそうだ。うーむ、どんな具合に「すごい」のだろう。何か怪しい事が起きたりするのだろうか。出発前からミーハーの血が騒ぐ。
が、今までどんなに怪しい場所に行っても、私には変なことは起きなかった。悪いこともない変わりに、特別な神秘体験もない。それには守られ過ぎているという説と、単に鈍感なだけ、という説がある。私はどちらが正しいのかそれ以上追求しないことにしている。

私は北海道と言えば原野というイメージがあったのだが、国道沿いだということもあるのだろうか、とても手入れされた緑が続いている。ただその続き方が、本州とは違う。延々と民家も何もなく、この牧草地帯を管理している人はいったいどこに住んでいるのだろうか、と思うくらい延々と延々と緑だ。

流れ星さんも運転が楽しそうだ。変なイチャモンをつけてくるような車もいない。ただこんなにすいている道で信号もないのに、みんな案外ゆっくりと走っている。
この風景に囲まれていると、急ぐという感覚がなくなってくるのかもしれない。

ふっと思って、流れ星さんに「一日に何キロ走ったら満足感があるの?」と聞いたら、「それは大きな勘違いをしている。距離を走らなくても満足はあるよ。」という返事。そうかあ。でもなあ、走ること自体が好きでなかったら、過去10年間で38万キロも走るだろうか!? 次回は必ず自分の車を持ってくるんだ、と一日に3回以上は言うところを見ると、愛車を思うように操る、という所にこの人は喜びがあるのだろうか。
などとウツラウツラしながら考えているうちに、お目当ての然別湖についた。


然別湖パワースポットはいずこ

実は、この巨大な湖のどこにパワースポットがあるのかまでは聞いていない。行けばわかるだろうと思っていた。
道は湖の片側を通って○○方面に向かっていて、一周するようにはできていない。
私たちはとにかく走り抜けてみて、何か感じる所を捜すことにした。
二人とも無言のままだ。湖を右手に見て、うねうねと木立の中を走る。私はあまり敏感な方ではないので、筋反射で身体に聞きながら捜していた。うーむ、どうもこのあたりではないか。
湖の端っこまで走り、Uターンする。流れ星さんがこのあたりに感じる、と言う所と、私が思う所が一致した。私はちょっと嬉しかった。私の身体さんはちゃんと判っているらしい。
木立を透かして見ると湖の中に浮かぶ小さな島があり、そこには神様がお祭りしてあるようだった。弁天さんらしい。

こちら側の岸にはすこし出っ張りがあり、草と木で隠れているが、湖に向かって入っていけることが分かった。草の葉をかき分けて行ってみる。先端までいくと、弁天さんの鳥居が真正面ではないけれどそこそこの角度で見える。私たちはいつものようにご挨拶させていただいた。
それからなんとなくお互いにしたいようにしていた。私はぼんやりと鳥居を眺めて風に吹かれていた。暖かくて優しい場所だ。私にとってそこは「すごい」というよりは「良く来たね」というウエルカムの感じがした。流れ星さんはエネルギーと一緒に遊んでいるらしい。知らない人が見たら怪しい踊りに見えるだろうけれど、気持ち良さそうに動いている。最後に両手で私の頭のてっぺんからエネルギーを通してくれた。スッとまっすぐに何かが大地まで流れて行った。


露天風呂ひと騒動。親切兄さんありがとう。

それからいよいよ露天風呂だ。北海道に行く前に、メールで知人に菅野温泉の川沿いの鹿の湯がいいと聞いていたので、そこに行くことにした。その菅野温泉方面は、来た道を15キロほど戻ってからさらに20キロほど行った所らしい。
そして菅野温泉についたが鹿の湯がどこにあるのか分からない。看板も何もない。どうしようかとキョロキョロしていると、丸顔で気のよさそうなお兄ちゃんがぶらぶら歩いているので聞いてみた。
「ああ、その温泉ならここからあそこまで戻って、あっちに行ってこっちに曲がるとありますよ。ボクも今からそこに戻るから案内しましょうか。」やはりかなり親切な人だ。
分かりますから行ってみます、と返事して行ってみる。すぐ近くだった。駐車場に車を止めてお風呂セットを抱えて歩き出す。橋の手前に小さな看板が掛かっていて、お風呂に入る人は清掃費をこの箱に寄付してください、とある。ということはここは無人の露天風呂らしい。それに全然建物が見えない。少し歩くのだろうか。向こうからお風呂上がりらしい男性が何人か歩いてきた。

その看板を見ていると、さっきの気のいい兄さんがやってきた。
「いやあ、あそこは河原にただお湯が沸いていて、着替えるのもテーブルが一個あるだけなんですよ。あんまり女性向きじゃあないかもしれないですよ。」と申し訳なさそうに言う。ということは、かなり野生の露天風呂らしい。そんな所に一度は入ってみたいと長年恋いこがれては来たが、小さくて着替えの場所もなく、男女の別もない、しかも帰ってくる人は男性ばかりだ。となると……
ミーハーの血と羞恥心が戦っていると、その兄さんが「この道をあっちに行ってこっちに行くと、小さな屋根の建物があって、そこをずっと道なりに行くと、川の横に露天風呂が3つあるんですよ。ボクもさっき行ってみたんですけど、赤い車に乗った人がいたけどそろそろ帰る頃だろうし、あそこならいいかもしれないですよ。土地の人しか知らない場所だし。」
そうか。秘密の場所があるらしい。そういう一部の人しか知らない温泉だと思うと、俄然興味がわく。これは行かねばならない。
流れ星さんもここの温泉がダメだと分かったときにはしおれていたのに、この話で俄然元気が出てきたようだ。

言われた通りに行くが、川の水音はするものの木立の中にどこから入ったらいいのかわからない。とにかく鬱蒼とした山の中の、渓谷に降りていく道なのだが。捜してみるとそれらしき道が二つある。近い方を選んで降りてみた。木々の下に葉っぱの大きな笹が茂っていて、それをかき分けて道なき道を行く。川の水音が一歩歩く毎に強くなる。いきなり渓谷の上に出た。笹の葉に隠れて立て札がある。この下の露天風呂に入る人は、勝手に屋根をつけたりしないでください、と書かれている。やっぱりこの下にあるらしい。
かろうじて人が降りられるかもしれない、という感じの崖というか坂を、へばりつきながら必死で下りる。足を滑らせたらおしまいだ。高い所が怖い私にとってはかなりのスリルがある。そして足の悪い流れ星さんにとっては、普通なら決して決して降りない場所だ。
泥だらけになりながら、やっとの思いで河原に到着。まだ少し歩かなければならない。これもちょっとでも足を滑らせたら…帰れなくなる…でも私はこのために新しくスニーカーを買ったのだ。行かなくっちゃ。
向こうにやっと露天風呂らしきものが見えてきた。

手を入れてみると、ほのかに暖かい。でもこれは温度が低すぎる。そばに水が大量に湧いている所があり、その水が随分流れ込んでいる。それで温度が下がってしまうのだろう。私は諦めて靴と靴下を脱いで足をつけてみた。温泉がプクプク湧いている所はとても熱い。少し離れると流れ込む水で冷たくなってしまう。流れ星さんは未練がましく、その流れ込む水を石を移動させてせき止めようとしている。と思ったら、よーく見てみたらせき止めているのではなく、もっとストレートに流れ込むように詰まった枯れ葉の掃除などをしていた。私はちょっとムッとしたが、考えてみれば冷たい水を完全にせき止めるのは、どう考えても無理だ。流れ星さんはこの露天風呂に入ることはさっさと諦めて、前世でビーバーだった記憶がよみがえり小枝や葉っぱ集めを始めたのかも知れない。

あの兄さんは露天風呂が3つある、と言っていた。あと二つはもっと奥にあるのだろうか。探検してみたいという気持ちはあったが、先を覗いてみても歩けるような道は見えない。これ以上この川沿いを行くのは無理だ。諦めるしかない。今回、私たちは温泉についていないのだろう。
でも、大自然の中のこんな天然自然の露天風呂に巡り会えたことは、とても幸せだと思った。風にふかれて水音にさらされているだけで、細胞が変わっていくような気がする。

足を拭いてスニーカーを履き、来た道を戻る。崖のような道は、降りるよりは上るほうが少し楽だ。車の止めてある場所まで戻ると、丁度さっきの兄さんがバイクでやってきた。
「いやあ、メシ作りながら心配していたんですよ。もしかしたらひょっとしてこっちに来たんじゃないかなと思って来てみだんですよ。やっぱりこっちに来ちゃったんですね。この奥にもう一つ道があるんですよ。そっちに降りると、露天風呂が二つあって、そっちは暖かいですよ。こっちは冷たかったでしょう。ボクが入り口まで案内しますから。メシ作りながら気になって。ホントに来てみてよかった。」
いいなあ。旅先でこんな人に出会えることも、本当に幸せなことだ。聞くとこのあたりに住んでいるのではなく、東京からキャンプに来ているらしい。ここはもう3回目なのだそうだ。

親切兄さんは下草の茂った道の入り口まで案内してくれた。しかし、あんな崖を恐がりの私と足の悪い流れ星さんがまた降りるのは、リスクが高すぎると思った。兄さんの気持ちはすごく嬉しかったが、流れ星さんが足を滑らせたらおしまいだ。こんなに大柄な人を担いで崖を登るなんて不可能だし、救急車を呼ぶにも携帯は立派に圏外だ。私は最悪の事態が起きた時のシュミレーションを何通りか空想した。親切兄さんの案内を断る気はないが、これ以上深追いするのは危険だ。
しかし私の心配とは裏腹に、流れ星さんはどうも行く気だ。言われたように車で少し道を上がる。兄さんもバイクでついてきてくれて、私たちが道の入り口で止まったのを確認すると、黒い革手袋をはめた手を振って帰って行った。
赤い車が一台止まっている。最初に兄さんが言っていた先客の車に違いない。入り口の道はやっと車一台が通れるかもしれないという幅で、ぬかるみでかなりひどい状態だ。流れ星さんはそこをいきなりバックで入っていく。どんどん入っていく。どんずまりまで行くとタオルを首からさげた二人づれがやってきた。この二人があの赤い車の主なのだろう。ということはもう露天風呂は無人になっているはずだ。

車から降りると私たちはうっそうと茂った草の間をかき分けて歩いた。崖っぷちまで行くと、眼下に露天風呂が二つ見えている。暖かそうな湯気が上がっている。さっきはブチブチ文句を言いながら降りた流れ星さんが、今度は何も言わずにどんどん降りていく。私もついていく。
向こうに見える方が二倍くらいの広さがある。私たちは手前の小さい、畳一枚分ちょっとくらいの方にした。
手をつけてみると暖かい。入るのにちょうどいい温度になっている。当たりはもう暗くなり始める時間で、上の道に戻っても街灯すらないし、もちろんここにも灯りはない。ということはもうおそらく誰もこない。
「よし。入るぞ。」流れ星さんが嬉しそうに一気に服をぬぐ。私は一瞬躊躇したが、こんな所で恥ずかしがっていてはミーハーの名がすたる。私もまけずにさっさか裸ん坊だ。

お湯はほのかに硫黄の匂いがするが、全く気にならない。切り立った岩の隙間から温泉が湧いていて、石が茶色く変色している。お湯の色も茶色っぽく程良くにごっている。深さもちょうどいい。ぬるぬるした石で滑らないように足を踏ん張ってそっと反対側を向くと、目の前はすぐに渓流で、鮮烈に白い水しぶきだ。温泉がわき出る密やかな水音と、渓流の豊かな水音が重なり合い混じり合い、空気を豊穣に満たす。こんな場所にはきっと、温泉天使か温泉妖精がいるにちがいない。

程良く暖まり十分に満足した私たちは、日が暮れてしまわないうちに車に戻った。そして地元のスーパーを探してナビをたよりに、帰る方向とは逆の数十キロ離れた隣町に向かう。サラダの材料を仕入れる為だ。全く、このあたりに住んでいる人たちは、日用品をどこで手に入れるのだろう。心配になってしまう。


北海道の豆腐をあなどるなかれ(*^.^*)

ホテルに帰り、買ってきたお弁当とサラダを食べた。私は旅行に行く時には、果物ナイフと塩を必ず持っていく。その土地の新鮮な野菜を食べるためだ。この日は豆腐も買って豆腐サラダゴマドレッシングにしたのだが、これが大正解だった。スーパーで買った普通の豆腐が、こんなにおいしいとは思わなかった。醤油もドレッシングも何もナシで食べても、非常にうまい。私は大豆で出来ています、と当たり前のことを当たり前に言っている豆腐だ。豆腐というのはこういう味だったのだ。感動だった。北海道の人たちは日々、こんなうまい豆腐を食べているのか。そういえば十勝は大豆の産地でもあったはずだ。うーむ。


星ってこんなにたくさんあるの!!!

夜中、私は公衆電話からメールチェックとHPのBBSチェックだ。人気のなくなった電話コーナーで一人、寒さに凍えスピードの遅さにいらつきながら。
流れ星さんは昔取った杵柄のカメラ一式を持参していたので、夜景の写真を撮りに行った。メールチェックが終わって外に出てみると、異様な程に満点の星空。私はこんなにたくさんの星をナマで見たことはなかった。天の川も見えている。月も火星も。夜空に砂をまき散らしたかと思う程のたくさんのたくさんの星、星、星。夜空を埋め尽くす勢いだ。プラネタリウムとは全く違う。写真で見るのとも違う。圧倒的な迫力だ。都会に住んでいると「星降る夜」などという言葉は絵空事にしか思えないが、ここではそれが日常なのだろう。こんな土地に住んで、毎晩夜空を眺めて暮らしたら、全く別の人間に生まれ変われるかもしれない、とふっと思った。
そのうち私は首が痛くなって、30分間の開放撮影で写真を撮っている流れ星さんを見捨てて、さっさと先に帰って寝てしまった。夜空の神秘よりも眠気が勝った。

次の日は早朝から小樽へ。

朝、9月とは思えないひんやりとした空気に身震いしながらカーテンを開けると、下界が真っ白い霧につつまれている。私たちが泊まっているのは33階で、窓からは真っ白い霧と遠くに青く寝ている山々しか見えない。飛行機から下界を眺めているような感じだ。空が濃いブルーから明るいブルーへと光を含んでゆく。しばらく眺めていると霧がゆったりと流れて、芝生や木々の緑が少しづつ透けて見えてきた。

今日は流れ星さんの行きたがっていた、小樽の鉄道なんとか館へひとっ走りした。私には全く興味がない分野なのだが、運転を一気に引き受けてもらっているので、少しはご機嫌を取っておかねばならない。
ラッセル車のいろいろが展示してある。その日は美しく晴れたいい気候で、まるで関西に居るような錯覚に陥るが、こういうものを立て続けにたくさん見ると、ここは北海道なんだと改めて思う。こんなにたくさんの種類の雪かき用電車が必要なのだ。そして雪かき用電車の改良の歴史があるのだ。
電車の運転手になりたいという子供時代からの夢が挫折した体験を持つ流れ星さんは、うれしそうに延々としゃべっている。私にはどれも大して差のない鉄の乗り物なのだが、一つ一つ丁寧に見て回る流れ星さんは、人が心と手をかけて造り上げたモノの持つ、何かのエネルギーを感じ取っているようだった。私は内容は聞き流して、うれしさやワクワクだけを受け取ることにした。

北海道で食べたラーメンは…

やっと電車から流れ星さんを引きはがすことに成功した私は、小樽運河通りのラーメン屋へ。
ここはしゃれた店がたくさん並んでいる。どの店もステキで片っ端から覗いてみたいが、私たちはとにかく食欲だ。

全国の人気ラーメン屋がたくさん入っている建物がある。まずはここ。どこに入ろうか。一週すると「一風堂」という店が気になる。ここにしようよ、とさそって、流れ星さんは豚骨のこってり味赤玉ラーメン、私は豚骨あっさりの白玉ラーメン、そして当然餃子。
店にある情報誌を見ていて思い出した。大阪の本町近くにあるチェーン店に行ったことがある。最低30分は待たなければ食べられない店だ。いつも行列が出来ている。
ラーメンが来た。スープを呑む。これがうまい。こくがあってあっさりして、まろやかで深くて、くせがない。幸せ。餃子も小粒ながらしゃんとした味だ。

ラーメンのように手間暇かかるものを、こんなに手軽に安く食べさせてもらえる幸せ。
幸せなんだけれど、実は一風堂の発祥は九州だ。北海道に来て、なんでなんでなんで大阪で食べた九州のラーメンを食べて居るんだろう… その土地のおいしい物を食べるのが旅行の楽しみなのに、地元のうまいラーメン屋もたくさんチェックしてきたのに。これが北海道で食べる唯一のラーメンかもしれないのに… (-.-) 


ガラスの器のミニ丼かわいい
くやしいのでその後は、ミニ丼の店へ。海鮮丼のミニサイズをお手頃な値段で食べさせてくれる店がある。ミニサイズならラーメンと餃子を食べた後でも、一つくらい食べられるに違いない。ガイドブックの写真もとてもステキで、ガラスの小さな器に入っている。
やっと店を見つけて入る。昼食時間はとっくに過ぎて、夕飯には早すぎる時間なので、私たちの他には誰もいない。
私はなんと言っても鮭が好きだ。鮭たらこ丼を注文する。流れ星さんはイクラとマグロと二種類を注文した。

私にとって鮭はナマで食べるものなので、当然ナマの鮭が乗っていると思っていたのに、なんとご飯に鮭フレークが混ざっている上に生のたらこが乗っている。出てきたミニ丼を一目みて、ああしまった、と思った。ラーメンに続いてまたもや失敗か。流れ星さんの所に来たイクラ丼がうらめしい。


が、そんなことは表情にも出さずに知らん顔で鮭たらこ丼を食べる。食べてみるとそれが以外にうまい。ご飯に鮭のフレークと白ごまと三つ葉か何かがまぜてある。それにたらことトッピングのノリを混ぜて口に運ぶと、何とも言えずおいしい。なんだかほっとする味だ。どうだ北海道の丼はこれだドーン、というような自己主張がない。さりげなく控えめな顔で、味は本物だ。すっかりうれしくなってしまった。



コープで食材、ゴマドレッシングで元気を取り戻す

そろそろ夕方になる時間、ホテルの高くてまずいディナーなんぞ食べたくない私たちは、またしてもスーパーを探して走る。小樽は大きな町なのですぐにコープが見つかった。野菜は昨日のがまだ少し残っているので、豆腐とドレッシングを買った。ドレッシングはいつも家で使っているゴマドレッシングがあり、それを見つけるといきなり流れ星さんが元気になった。すごくうれしそうだ。いつも食べていて気に入ったものが、こんな遠い土地でも手に入るという安心感なのか。
とすると、宮古島に行った時にマクドナルドに入る観光客を見て、こんなに珍しくてうまい物が豊富にある土地で、なぜどこでも食べれるものを選ぶのか不思議に思ったことがあるのだが、その気持ちが分かった気がした。いくら旅行を楽しんでいるとはいえ、見知らぬ土地にいるのはストレスだ。そんな時になじんでいる味に再会できると、無条件にほっとするのではないだろうか。

そしてまたしても豆腐がうまかった。何もつけずに食べ、ゴマドレッシングで食べ、翌朝の朝食でまた食べた。コープで売っている普通の値段の普通の豆腐なのだ。何百円も出しているわけではないのに、自然で濃厚で厚みのある味がする。うまい。朝からすっかり幸せになった。

翌日は札幌二条市場

もう今日は帰らなければならない。千歳発の昼の飛行機に乗らなければならないので、札幌で使える時間はわずかしかない。が、友人に聞いていた二条市場は逃せない。私たちは北海道最後のうまい物に心引かれて、早起きした。

といっても朝8時頃。二条市場も開いている店とまだ閉まっている店がある。大通りに面した店をひやかす。どこもカニづくしだ。貧乏旅行中の私は今回はカニを買うつもりがないので、店の人に捕まらないように、でもある程度の観察が出来るような歩調で歩いた。端まで歩いてから奥へ続く道に入る。海産物の珍味や利尻昆布、ラーメン、水槽のカニやイクラ等々。

気がつくと流れ星さんが佐藤清商店のおじさんと話し込んでいる。捕まったらしい。少し離れた所でラーメンの箱など眺めながら観察していると、イクラをどんな風に醤油でつけ込むか、とか、このあたりで自分の所でそれをしている店は3件しかない、とか、カニの見分け方、味見のカニを信じてはいけない、などのレクチャーを受けている。
ふと気づくと流れ星さんの手に白いビニールの袋がある。何か買ったらしい。チェックしに行くと、貝柱のヒモを加工した珍味だった。これは私も大好物だ。よしよし。そして私もこの店のオリジナルだというラーメンをおみやげ用に買った。小樽で九州のラーメンを食べてしまったので、オリジナルのラーメンなら私的にはまあ合格だということにした。

流れ星さんはまだ捕まったままだ。イクラの醤油漬けの前で思案している。あの顔は買わずにはすまない表情だ。仕方なく私もイクラの近くに寄っていった。
おじさんが味見をくれた。それがうまい。うーむ。これはかなり合格かもしれない。店でいくら丼に3,000円使うよりも、ここで同じだけ買って帰ればみんなで食べれる。素早く計算した私は、財布のヒモをゆるめることにした。

イクラの反対側にも、なにやらうまそうなものがある。生の鮭を刻んで麹でつけ込んであるらしい。当然味見をもらう。これがまたいける。ミニ丼の店で生の鮭を食べそびれた私だけれど、実はこの鮭に出会うためだったのかもしれない。もしかしたらこの鮭と私はソウルメイトかも…などというあらぬ妄想を振り払いながら、300g包んでもらった。これはたぶん日本酒にあうのだろう。飲めない私は、ほかほかご飯に乗せて食べるつもりだ。

おいしい買い物に満足した私たちは、北海道最後のご飯を「焼きハラス定食」にすべく、友人に聞いた店を探した。格安でメチャうまだというその店は、残念ながら定休日だった。カニラーメンの看板にフラッとしながらも、私たちは千歳空港に向かうことにした。


北海道最後のご飯

空港でレンタカーを返して、搭乗手続きもすませて、まだ少し時間がある。私たちはもちろん売店を物色した。ナントカいうメーカーのうまい生チョコや、一人分500円もするラーメンなどをおみやげに買う。そしてふと見ると、うまそうなおにぎりや天ぷらなどお総菜を売っているコーナーがある。北海道最後のご飯はこれだ。北海道ならではのイクラやたらこのおにぎりと、天ぷらを数枚買った。
そして飛行機の狭いシートに治まって、周りにうまそうな匂いをさせながら、前の座席の子供がチラチラとよだれを垂らしそうな顔でこちらを見ているのも無視して、ひたすら食べる。

大自然とパワースポットがメインだったはずの旅は、終わってみるといつものように食い倒れの旅だった。
d( ̄ー ̄+)。



旅日記フルコーストップへ  天使のネットワークトップへ  こころの露天風呂トップへ