ポリタンクを全部満タンにして、薄明るくなった川沿いをあがってゆくと、木立の中に川をわたる飛び石があり、その先に小さな神社がお祭りしてある。気品のある美しいお社だ。
山や大地の中を通過し、自らを浄化し地球の栄養分をたっぷりと溶かし込んで、水はわき出てくる。その水をいただき、場を浄化する水音に身をさらしていると、私たちも水なんだ、ということがとても自然にわかる気がしてくる。この、たえまなくあふれる流れゆく水と私とは同じなのだ、と。細胞の一つ一つの水が共鳴するのかもしれない。
そのここちよさに自分を開き、ゆだねていると、いつのまにかすっかり明るくなった空から、陽光が木々の間をすべりおりてくる。何かを得たり得なかったり、大切な人とうまくいったりいかなかったりするのとは全く別の次元の、満たされた幸せがここにある、と感じた。
すっかりいい人になった帰りには、道の駅で、どこかのおばちゃんの名前の入った鯖寿司を買って朝食にする。鯖と昆布のまろやかな甘みが、しっかりと押された寿司飯にしみこんでいる。無言でひたすら食べる。
運がいいと朝市があり、とれとれのべっぴんさんの野菜がニコニコで迎えてくれて、おもわず買ってしまう。幸せな野菜たち。こんな風におしみなく無限に何かを与えてくれるものたちと出会い、ただただ受け取ることの幸せの中に居続けていると、与えるでもない受け取るでもない、不思議な一体感の中に溶けていくような感じがしてくる