金勝要神様


2003/12


位山からもどった私たちは、次なる目的地「金勝要神きんかつかなめしんさま」にお参りに行くことになった。一年ほど前に「大金運UPありがとうツアー」というものを行い、それぞれにすばらしい結果をいただいていたのだが、気づきのアート展でのまゆみさん経由の岡本さんの話や、情報通のH さんの話から、またお金の神様にお会いしに行こう、ということになっていた。
いつ行くのがよいか、コインで占ってみると、12月9日がいいらしい。それも必ず行くことになっている卦だった。
ということで、オランディアと私と流れ星さんは、例によって前日8日の深夜から出かけて日帰りすることにした。天気予報では雪だということで、私たちはしっかりと冬支度の雪だるま状態だ。


いずみ特性ドライブ弁当(実はいつもほとんど同じ)
たらこのおにぎりは玄米入り、ヨーグルトとブルーベリーソースをたっぷり焼き込んである極うまのパンが2斤分くらい。ブロッコリーのゆでたもの、自家製のからあげとアジフライ、リンゴを2ヶむいて食塩水につけてあるもの、カフェオレをたっぷり、それとおやつに黒ごまクリームサンドビスケット。

私は作りながら味見をしたり、自分用の夕食をちゃんと食べたのだが、またまたこの二人は夕食を食べていなかったらしく、日付の変わった真夜中の高速道路を走りながら、ひたすらパクついている。朝ご飯がなくなりそうな勢いだ。私は一瞬危険を感じたが、今度は山登りではないので、コンビニや食事のできる所がいくらでもあるはずだ。気をとりなおして十分に食べてもらった。


実はどうも、出発前から流れ星さんがいらついている。行き先がよく分からないらしい。位山に行った時に、「この道をこっちにいけば金勝要様の所だ。」というような会話をしていたのだが、その場所を書いた紙がなくなってしまった。私は情報通のHさんから場所やお参りの仕方の丁寧な方法をメールでもらっていたので、それをプリントアウトしてきたのだが、流れ星さんによるとその場所は位山に行った時に話しをしていた場所と違うらしい。
流れ星さんは、位山に行った時の情報を探そうとして、イライラしているのだ。たしかに位山に行く前に私もパソコンで調べて、写真も見たし地図も見た記憶がある。道路地図でも一度確認したのだそうだ。持参していたノートパソコンでもう一度調べてみようとしても、今度はそのパソコンの調子が悪い。流れ星さんの周りの空気がピリピリしてなんだか赤っぽい。危険だ。地雷を踏まないように、オランディアと私は知らぬ顔でパンをかじる。流れ星さんはお弁当を食べている時だけ、かろうじてそのピリピリはなくなっていた(やっばり食い気ね)

前回どこを調べていたのかは知らないが、今は正しい情報があるのだから、それを信じて行けばいい、とオランディアと私は単純に考えている。が、流れ星さんは以前の情報に固執している。
その時はっと気づいた。確か確か、行く日を占った時に出た情報では、あっちこっちウロウロ回る不安な旅になる、と出ていたはずだ。口げんかの情報もあった。そして後半は楽しくて帰りたくない旅になる、という卦だった。そのことはコインをふった11月の半ばに、二人に話していた。
「占い、あたったやんか。」と私。「ほんまやんか。喧嘩っちゅうよりも流れ星さんが一人でイライラしているだけだけど。」オランディアが明るい声で笑う。流れ星さんは「くそう、やられた」というような顔になった。そしてどうも執着しているのがアホらしくなったらしく、顔が柔らかくなりピリピリも消えた。地雷の心配をしなくて済んで、私たちはほっとした。そしてやっと私がプリントアウトしてきたHさん情報を聞いてくれた。

Hさん情報によると、この神社でお参りして光の乱舞する写真がとれて、しばらく後にすんごい大金が転がってきた人がいるという。さらにHさんは、アバウトな私たちがちゃんと分かるように、お社の写真もくれた。実は私はそれを今でもお財布に入れている。


そしていつのまにか私は眠り姫。ドライバーの二人もつかれたらしく、気がつくとみんな車中で寝ていた。寒かった。
ふと目がさめると、すでに外は明るい。12月で明るいということは7時を過ぎているということだ。時計を見ると8時前だった。それに雪ではなく雨がぱらついている。
二人とも目を覚ましたので聞いてみると、夕べのうちにかなりがんばって、金勝要神の近くまですでに来ているらしい。

流れ星さんが冷えたのか体調を崩してトイレを探しに観光案内所に行く。帰ってきてまたすぐに駅のトイレに。ということは、お参りを急がないほうがいい。私たちは金勝要神のまつられている駐車場に一旦は入ったのだが、途中で見た喫茶店で暖をとってからゆっくり落ち着いてお参りをすることにして引き返した。

喫茶店の、夜は絶対にカラオケラウンジになるな、という感じのゆったりとした派手なソファーに座ってのんびりとホットミルクをのんで、しばし雑談。オランディアの頭にはアンテナが3本立っている、という説にみんな納得した。
今回は山登りがない、ということで私たち3人はのんびりムードだ。雨は相変わらず降っている。が、晴れ女オランディアも雨女の私も、力比べをするでもない。降る時には降るだろう。やむときにはやむだろう。

さあぼちぼちいこか、と腰を上げたのが10時過ぎていた。

神社につくと、まずはメインのご祭神にご挨拶をする。それから金勝要神様の所にいく。雨がどんどん強くなってきた。
金勝要神様は恵比寿さんの右となりの小さなお社で、アルミサッシでできた小屋状のものの中に鎮座されている。

まずは流れ星さんがお参りする。傘を置いてそぼふる雨の中、なにやら念入りにお願いしている。つぎはオランディア。雨はどんどん降る。そして最後は私。二人が念入りにお願いして、いい場になった所で私がお願いをしよう、というずるがしこい魂胆だ。
それがうまくいったのかいかなかったのか、私が祈り出すとますます雨は降りしきった。私は雨の一粒一粒が、札束や金貨に思えた。惜しみなく、際限なく、無条件に有り余る豊かさだ。私たち三人だけのことではなく、私たちに連なる全ての人がお金というエネルギーと、もっとクリアーで楽しくつながっていけるようになるに違いない。雨粒にたたかれながら、私はフツフツと喜びがこみ上げてくるのを感じていた。金勝要神様、全ての願いが叶うことに感謝します。ありがとうございます。

ずぶぬれのまま、つぎは白山神社にもよった。とても美しいお社だった。

お参りがすんだら、さて、お風呂に行くか、直会なおらいをするか。
帰りに福井県を通り、いつもの極うまの蕎麦屋に行きたいので、私たちは先にお風呂に行くことにした。おみやげ物屋でくれた無料の案内を見ると、土地柄か温泉がたくさんある。私たちは今までの経験から、公共の施設が安くて設備がいいことを知っていたので、まよわず「かんぽの郷白山尾口」に行った。そこなら私の大好きな露天風呂もある。そこは白山神社から金沢方面に30分ほど走った所にある。ここから山越えで福井にも行けるらしいし、ちょうどいいルートだ。


念のためにお目当ての蕎麦屋「一福」に電話を入れると、なんと今日は定休日だと言う。あの「塩蕎麦」は今日は食べられない。ならば「ふるさと」がある。あそこなら夜9時ごろまでやっているので、少々温泉でゆっくりしても食べられるはずだ。

流れ星さんはなぜか疲れ切って、温泉には入らずに休憩所でごろ寝。私とオランディアは貸し切り状態の露天風呂でのんびりとふやけた。
ここの露天風呂には屋根がしっかりとついていて、周りはガラスで適当に覆われていて、曇りガラスが上手に使ってある。小さな岩に腰掛けて腰湯にして、風が湯煙を運んでいくのを、私は飽きずに眺めていた。腰湯にしているとどんなに冷たい風が吹いてきても、ほとんど寒さを感じずに1時間でも2時間でも入っていることが出来る。風は私の右側から吹き、湯煙をくるんくるんと舞い踊らせて、左のすみに集めてから、一番上の左の隙間から流れ出して行く。右からの風には雨粒がまざり、肌にプチプチと当たるのも面白い。
私が風の観察をしていると、オランディアは入ってきたおばさんたちのチェックをしている。おばさん達の会話から、家族関係や最近の出来事、それぞれの性格と人間関係まで把握していた。私といえば、そういえば何人か途中で人が入ってきたなあ、程度の記憶しかない。恐るべしオランディアの人間観察眼。


露天風呂からあがり流れ星さんを起こすと、私はアイスクリームを探しに行った。温泉の後はアイスクリームだ。見つからずに売店でウロウロしていると、うまそうな蕎麦を売っている。そういえば蕎麦は山間の痩せた土地で作られる。ということはこのあたりにもうまい蕎麦があるのかもしれない。さっそく売店の女性に聞いてみた。
「あ、ありますよ。蕎麦街道と言って、16件くらい蕎麦屋があるんですよ。」やったあ!!! 福井まで行かなくてもこの土地のうまい蕎麦が食べられる。
売店の女性は緑色の地図を一枚くれた。たしかに「蕎麦街道」とある。
「この中で、ここの蕎麦はうまい、というのはどの店ですか?」
「そうですねえ、ここか、ここですね。」
「これぞ本物の蕎麦、というのが食べたいんですよ。」
「だったらこっちですね。よく雑誌なんかにも載っていますよ。」やはり土地のことはその土地の人に聞くものだ。お手柄をたててすっかりご機嫌の私は、ルンルンだ。

その蕎麦屋は白山神社方面にある。またまた30分ほど逆戻りだ。うまい蕎麦のためならそのくらいなんということはない。が、しかし、なんと、行ってみるとそのお目当ての蕎麦屋はとっくに閉まっていた。うまい蕎麦屋は、そば粉が無くなり次第閉店になる。ここもそういう店だったのか。しまった、電話を入れて確かめるのだった。
しかたがない。ということはもう一件の勧められた店にも電話を入れてみると、やはりすでにしまっている。まだ空いていて、うまそうな蕎麦屋はどこだろう。私たちは緑の地図をにらんで、その店の名前からおいしい蕎麦を食べさせてくれそうな店を占った。


地図を見ていると、どういう発想をしたら、蕎麦屋にこんな名前をつけられるのだろう、というような店もある。蕎麦とハンバーグがセットで出てきそうな店名なのだ。逆に好奇心をそそられて行ってみたくなるが、大切な直会で危険を冒すのはどうも…ということで却下された。

蕎麦街道をあっちに行き、こっちに行きして、やっと「一揆そば長助」という店にたどり着いた。すでに薄暗くなっているが、店の外には水車が周り、ガラスの大きな窓から見える店内には、なんだか変わったインテリアが見える。ウケを狙ったように見えるそれらのインテリアに若干の不安を感じつつ、蕎麦街道を何往復もして嫌気もさしてきた私たちは、ここで食べるしかないと決心して入り口のドアを開けた。

入り口のドアは、ペットボトルを利用した自動ドアだ。大きな一枚板のテーブルの真ん中に、巨大な藤蔓が飾ってある。それまでいたお客さんが帰り、貸し切り状態になった。三人並んで座り、メニューを眺める。蕎麦はなんといってもザル系統だ。私とオランディアはとろろ蕎麦、流れ星さんはおろし蕎麦を注文する。と、満面に笑みを浮かべたお兄さんが「一揆蕎麦がこの店の名物なんですよ。揚げた草餅が入っているのがオリジナルです。」と言う。「揚げた草餅入り」はどうなんだろう。そんな蕎麦は聞いたことも食べたこともない。私たちは額を寄せて相談して、その名物も注文することにした。

おろし蕎麦とろろ蕎麦

蕎麦が来た。ここの蕎麦は太い。私たちの背後で満面の笑みで立っているお兄さんに質問してみると、この地方の蕎麦が太いのではなく、この店の蕎麦が太いのだそうだ。腹ぺこの三人は無言で食べる。途中で流れ星さんのおろし蕎麦と交換する。おろしはそんなに辛くないが、とろろの後に食べるとやはり男性的だ。

手打ち蕎麦の太さとしては、この店の蕎麦はかなり太い。こんなに太い手打ちは他では見たことがない。サラッと食べると出汁が物足りない気がして、私は少し念入りに蕎麦に出汁を絡めて食べた。粉は地元のものでは足りなくて、長野県のものを足しているという。

三人とも食べ終わるころ「一揆蕎麦」が来た。本当はおもちは2ヶなのだそうだが、私たちがケンカしないようにおまけして3ヶにしてくれた。ニコニコ兄さん、ありがとう。蕎麦の横には季節の一品がついていて、大根と柿のなますだった。
ニコニコ兄さんは、私が何か質問すると本当にうれしそうな顔をしてくれる。それで私も遠慮なく質問できた。

「蕎麦に草餅を入れる発想はどこから来たんですか?」
江戸時代、一揆があり、それに向かう人たちのために作られた蕎麦というよりもごった煮から始まったものらしい。その頃は麺ではなくそば粉をといて団子状にしたものを入れていたらしい。その土地でとれる山菜も入れて、力が付くようにとおもちも入れたのだとか。
アクマでもにこやかに語るその言葉から、私は想像した。一揆に出かけるということは、家族や村人のために自分たちの命を捨てるということだ。たしか歴史の時間にならったかすかな記憶によれば、農民たちは何もせずに飢え死にするか、一揆に参加して意思表示して死ぬかの選択しかなかった。一揆に参加すれば全員死罪とわかっていながら、自分たちの思いが届くことと、残された家族が生き延びることに望みを託して、彼らは出発したのだ。そしてそれだけの貧しさと飢饉の時に、死にに行く人のために作られた料理なのだ。おもちを食べるなどということはきっと、一生に一度のことだったかもしれない。


そんな空想にふけっている間にも、ニコニコ兄さんの解説は続いている。入れるおもちは、ヒエや粟、キビなどいろいろためした結果、草餅が一番合うということになり、毎年春先に一年分のヨモギを摘むのだそうだ。蕎麦に入っているおもちにはあんはナシで、油で揚げてある。とても柔らかい。その草餅が評判になり、おもちだけ欲しいというお客さんが増えたので、限定であんこ入りの草餅も売っているらしい。いつも午前中で売り切れになるのだそうだ。

ニコニコ兄さんの話が一区切りついたので、私は季節の一品の味見もしたくて流れ星さんの方を振り向くと、なんとその瞬間に最後のなますが流れ星さんの口に入った所だった。しまった。遅すぎた。流れ星さんは、私が食いしん坊だということを忘れたのだろうか。食い物の恨みが恐ろしいことを、一揆の話から思い出さなかったのだろうか。
そんなことはお構いなく流れ星さんは、あげた草餅入りのお汁粉も注文した。


すっかり満腹になり、私たちは帰途についた。だがさらに流れ星さんは、以前私と一緒に行ったといううまいケーキ屋の話をする。私は何度も蕎麦を食べに連れてきてもらっているが、そのケーキ屋は話ばかりで一度も行ったことがない。流れ星さんは、私と行ったと主張する。
「行ってみれば思い出すわよ」とのオランディアの提案で、流れ星さんが私ではない誰と行ったのかを詮索して遊ぶのは終わりになった。私の分のなますを残してくれなかった恨みは、これくらいで許してあげよう。


そのケーキ屋もなかなか見つからず、またもや引き返したりしてやっと発見した。「SALVA DONICA」という店らしい。建物は古く、建てた当初はとても凝ったお洒落な店だったのだろうと思われる外観だ。こんな店に本当にうまいケーキがあるのだろうか。
半信半疑ながら、とにかく食べてみなければ。

ドアをあけると正面にケーキのウインドウがある。いい顔をしたケーキたちが目に飛び込んできた。とてもおいしそうで、私の心配はふっとんだ。私は何とか言う長い名前の、アーモンド粉で焼いたタルトに木イチゴのソースの生クリームが乗せてあるケーキにした。オランディアと流れ星さんは、やわらかチーズケーキというのを選んだ。飲み物にチャイがある。チャイがある店は、文句なしに合格だ。

店の中程には大きな暖炉があり、たくさんの薪が詰め込まれて、赤々と燃えている。私たちは暖炉の横の大きなテーブルに腰掛けた。

暖炉の火には、不思議な暖かさがある。身体だけではなく、こころをも暖めてくれるような気がする。静かで落ち着いた安らぎが場を満たしてくれる。おいしいケーキと、おいしいお茶、そして暖炉。何も喋る必要もなく、ただくつろいで、薪の燃える音を聞いた。


たわいのない会話でのんびりぼんやりして、それから更に、福井の「ふるさと」の蕎麦も食べたいという流れ星さんは、車を飛ばした。流れ星さんの食い意地もなかなかのものだ。
が、残念なことに店は終了していた。都会に住む私たちとは時間の感覚が違うのだ。
オランディアは「おいしい」という話ばかり何度も聞かされて、今回もお預けになったが、いつものにこやか笑顔で「いいわよ。また連れてってね。」と太っ腹な所をみせた。
私は十分に満腹なので、「ふるさと」で食べられないことは幸いだった。みんながうまそうに食べているのを見ているのは悲しいし、注文すれば食べてしまうが後で後悔することは分かっている。
流れ星さんは食べ損ねた蕎麦がよほどくやしいのか、帰り道の舞鶴のラーメン屋や、京都のカリカリたこ焼きの話などをさかんにする。彼には胃袋が最低3つはあると思う。

こうして、私たちのお参りの旅は終了した。占いで出た通り、最後までウロウロとさまよう旅だった。コインを振っていなかったら、みんながイライラしていたかもしれない。今日はこういう日なのだ、と思うと、ウロウロとさまようことを楽しめたと思う。

この旅から帰った数日後、オランディアと話していると、彼女には面白いことが起きているらしい。車を止める所がないなあ、と思っていると、スーっと場所があく。行こうと思った店への道を間違えて、次の辻で戻ろうと曲がったら、そのお目当ての店がそこにあった。友人に電話をしようとすると、その人から電話が掛かってくる。そんなことが次々と頻繁に起きるらしい。オランディアの頭のアンテナが更に伸びて、感度が良くなったのかも知れない。

流れ星さんは、仕事が増えた。最近どんどん仕事が増える。

私はと言えば、なんと10月からうちの家族になったネコのファルコンに、クリスマスプレゼントが届いた。捨て猫だったファルコンを拾って、手当して6ヶ月まで育ててくれたKさんが、最近太り気味のファルコンを心配して、キャットランドという名前のネコがじゃれて遊べる遊具をくれた。
それから、HPを通じて知り合ったN さんの会社のペットフードを買おうと思ったらなんと、不要になった試供品を150袋もらえることになった。
なぜかファルコンに御利益があった。娘に言わせると、ペットフードはファルコンではなく、それだけお金がかからずに済んだのだから、私へのプレゼントなのだそうだ。でもなあ、Nさんはすべてのペットフードを味見するって言っていたけれど、私のおやつにするわけにはいかないし…。


金色の光舞うあやしい写真がとれて、その後に大金が舞い込む、などというおいしい話は残念ながらなかったが、私たちはとても気持ちよくお参りさせていただいて、楽しい時間を過ごさせて頂いた。平日にこんなきままな旅を気心の知れた友人と行ける、こんな幸せなことはない。
なにはともあれ、いいことづくめだ。ありがとう、金勝要神様。