京阪神 精神世界  ミーハーの精神世界みてある記 5  近畿 精神世界 
by いずみ
このコーナーでは精神世界や霊の世界について体験したこと、
面白かったことなどを中心にお伝えしていきます。


2003.2月掲載

精神世界 樹萌じゅほう先生の画像鑑定〜人生は変わる!! 精神世界 


 最近できた友人から、樹萌先生のことを教えてもらった。その人の3年〜5年後の未来の映像が見える人らしい。物心ついた時から、人の周りにたくさんの映像が見えていたのだそうで、それが自分だけに見えているとわかり、何がみえているのか探求して未来の映像だと解ったらしい。
 紹介してくれた彼が鑑定を受けた時の話を聞くと、かなり面白そうだ。聞いていてワクワクしてくる。そんなことを言ってもらえるのか、そんなことが数年後には彼に起きるのか、と興味しんしんで聞いた。
 その話を聞いた一ヶ月後、今度東京から先生がこられて、個人鑑定を数日間するということになったという。「行きます!!! 受けます!!!」とその時は勢いよく応えた。が、実は料金が40分で30,000円となかなかのお値段だ。私の中でミーハーとケチが激しく戦い、今回はケチが勝ちをおさめて鑑定は見送り、と決めていた。するとまた他にもその鑑定を受けた人がいて、その人にも体験談を聞く機会があった。これまた面白い。ふむふむふむふむ。そーかそーか。それに、鑑定を受けた人はまず全員がニコニコで部屋から出てくるという。
 うーむ…でも…と思っている所に、明日ならまだ空きがありますよ、との連絡を貰い、これはチャンスなのかもしれないと思い行くことにした。

 お会いしてみると、先生は丸顔でとても優しい雰囲気の方だ。私をチラリと見て
「あなたは本を書いているの?」と言われたので
「共著で出したことはあります。今はホームページに文章を書いていますが」
もうすでに何か見えているのだろうか。テーブルの上に二種類の本があった。一冊は命恵星という先生に見えているその人固有の色について書かれている。研究の結果、色によりタイプがあるらしい。全部で11色ある。それは以前本屋で立ち読みして非常に興味を持ったけれど、先生の鑑定を受けなければ自分がどのタイプなのか解らないので、買わなかった本だ。あのときからご縁が出来ていたのかな、と思うとうれしかった。
 礼儀正しく名刺の交換などもする。
「あーあなたも占いをやるの? 統計的なもの?」
「いえ、今はそれはあまり使っていなくて、コインを振っています。」
「私も占いを学んで、占い師としてしていた事もあるのよ。最初は占いの結果と私が見えているものが一致していたのだけれど、10年ほど前から全く一致しなくなって、それで見えているものだけですることにしたんですよ。でも、一応生年月日から聞かせてください。」
占いを使わないという今でも、統計的占いとのズレを検証されているのだろうか。誠実な方だと思った。そして自分の見えているものが本当に正しいのかどうか、真剣に考えたり学んだりして来られたのだなあ、と思った。

 さっそく見ていただく。私の周りの空間をあちこち見て、そして頭上のあたりをじっと眺めて、紙に簡単に絵を描いてくださった。たぶん海辺の砂浜のような広がりのある風景で、右側に三角の屋根の家がある。家の近くに人がいる。反対側には林がある。言われたことは、3〜5年後に私は生き方を大きく変えるのだそうだ。今までの生き方に疲れていて、自然の中でゆっくりしたいと思っている。そして今が人生で一番大変な時期なのだそうだ。
三角の屋根は、今の住まいの入り口とかどこかにありますか?」と聞かれたが、どう考えてもない。
「昨年末に今のマンションに引っ越したのですが、全くそういうものはないです」と
答えた。先生によると、その三角の屋根が非常に強調されているらしい。
「そう、じゃあそういう家を手に入れるのかしらね。心あたりないの?」そういえば、引っ越す前に夢見ていた家は三角屋根だった。あんな家を本当に手に入れられるのだろうか。

 私は仕事の事を一番聞きたいと思っていたので、質問してみた。先ほど言われた「疲れている、生き方を変える時期」という言葉が引っかかっていた。
「うーん。仕事をしている姿は見えてないわね。」これはちょっとショックだった。でも、見えていないのと、していないのとは違うはず、と気をとりなおす。
「では、経済的にはちゃんと暮らしていけていますか。」
「あなたはお金を目的にしていないでしょう。本当はお金にはあまり関心がないのね。ただ必要な分はちゃんと入ってくるけど、たまらない。ためようとしても無理でしょう。流れていくのね。でも必要な分はあるんだから大丈夫。」
これは私がいつも占いで言われることだし、占い師としていろいろな人に言っていることでもある。先生の言葉は続く。
あなたはボランティア的な要素の強い人で、困っている人にはサポートせずにはいられないでしょう。でもそういう人からちゃんとお金をもらうのは苦手ね。」全くその通り。

 私の胸の当たりを見て「あなたの上の子どもさんは、世に出るわよ。」とのこと。実はある霊能者にもそんなことを言われたことがある。
「でも、私はいい母親ではなかったんです…」と言うと
いい子宮をあなたが用意したから、いい子が生まれたのよ。あとは子どもが勝手に育ったんでしょう。いい子宮を用意した事で母親の役割はだいたい終わっているのよ。
そう言ってもらってほっとした。これはさっそく娘にメールして自慢しよう。

 時間が迫ってきたようなので、私の命恵星の色をお聞きした。
「あなたはメインが白。そしてピンクがあって、少し黄色がある。仕事の時でも普段でも、話す時に自分の内側からわいてきたものをそのまま伝えればいいのよ。統計や理論データではなくて、自分の内側の感覚でね。あなたの知りたい知りたいは黄色からきているけど、それをしていけば黄色は消えてきます。」ということは、黄色の要素はなくなる方が私にとってはいいということなのだろう。それを生かすのではなくて、なくなる方がいいというのはもったいない気がした。(なんでも捨てずにリサイクルの発想か?)
「ピンクは母性ね。あなたは本当に優しい人で、面倒見もいいし、暖かい母性を持った人です。」

それはうれしい。
 命恵星の書かれた本を買って、帰りの電車の中で自分に関係のある三色の所を読んでみたら、とてもぴったり来た。占い師でもある私が言うのもおかしいが、今までのどの占いよりもぴったり来た。

 と言っても実は私は、先生の鑑定に満足できなかった。今から自分の創造性を生かした仕事をしていこうと思い、5年計画もたて、その後押しになるかと思っていったのに「疲れて自然の中にいたいと思っている、生き方を変える時期」と言われてしまった。私の5年計画は間違っているのだろうか。その間違いの結果として5年後があるのだとしたら…と思うと非常に居心地が悪い。私の考えと先生の鑑定のギャップはいったい何だろう。私もあの部屋からニコニコで出ていくはずだったのに………なんでなんで……
 疑問を残したまま、納得のいかないままにその日は過ぎていった。

 次の日にスリーインワンの研究会があり、あるカードを使って今の自分のテーマについてやってみよう、ということになった。もちろん私のテーマはこれだ。いろいろあれこれ話すうちに、少しづつ解ってきた。  実は私の5年計画の5年後は、月の半分は遊び半分は仕事をしている、日本中世界中を旅して、その土地で仕事をしたりたっぷり遊んだりしている、というかなりお気楽なものだ。「仕事」という感じではなく、楽しくてしょうがないことをしていて、それで収入もなぜかある、というようなイメージだった。樹萌先生が見てくださった海辺らしき場所と三角屋根の家は、私のお気楽生活のイメージと重なる感じもある。すると友人が指摘してくれた。
泉さんはこころの露天風呂なのに、仕事バージョンになると福本駐屯地になる。それはすごく違和感がありますよ。
 え!?!?!?!?!?
 そういえば私の5年後のイメージは「こころの露天風呂」そのものかもしれない。でもそれを実現させるのに、全く反対の波動である「福本駐屯地」(60年代の24時間働けますか的自衛隊的生き方)でしようとしている!!!
 数秒の間に、過去の記憶の断片が激しくよみがえり、乱舞し、やがて星座のようにつながっていった。

 数年前に手相を見てもらったことがある。
「あなたは自分の本質と全く違った生き方をしてきた。このくらい全く反対に生きて来た人は珍しいですよ。」と言われたことがある。そのころの私は、自分はやりたいことをやりたいように自由にやってきた、と思っていたので、この言葉は「はあ??」だった。それはこのことだったのかもしれない。

 私は物心ついてからずっと無意識にではあるけれど、福本駐屯地=父のDNA=父の生き方をしようとしてきた。そして繰り返し失敗してきた。が、私のセルフイメージはずっとこっちだった。たくさんのセッションを受けて、私の本質体の外側に張り付いているカサブタを次々とはがしていくにつれて、駐屯地はだんだん規制の少ないものにはなってきていたが、駐屯地であることに変わりはなかった。
 それに私の意識は、本質的な生き方というものがわからない。自分が何者なのかがわからなかった。それに仕事というものは、男性的にバリバリやらなければ成功できないにちがいない、とも思いこんでいる。それで昔のパターンである福本駐屯地に戻ってしまう。
 友人が指摘してくれた私らしさは、こころの露天風呂=母のDNA=母の生き方だった。母のように昔の古い生き方なんかしたくない、と堅く堅く思っていた私は、自分の中に母的な部分を見つけると、それは女性生であって母のDNAではない、ということにして自分を納得させていた。
今思うとこれにはかなり無理がある。そして実は仕事バージョンではない時の私は、すでにかなりこころの露天風呂モードになっているらしい。言われてみるとかなり心当たりがある。そうかもしれない。
 友人は、仕事もそのモードでやればいいのに、と言ってくれた。なるほど、そうなのか。気づいてみるとあまりの当たり前さに愕然としてしまう。福本駐屯地のやり方を続けている限り、どんなにがんばった所で、こころの露天風呂が実現する日がくるとは思えない。

 ならば、生き方が変わるのは3〜5年後ではなく、「今」だ。

 私にとっては父方のDNAと母方のDNAを丸ごと受け容れることが、ありのままの自分を受け入れることだ。両方の自分を受け入れることで、それを越えてDNAのTAOで生きていくことが出来るはずだ。(タオ=スリーインワンのプログラムに「バロメーターのタオ」というものがあり、右か左か、陰か陽かの二元論を越えたもの)駐屯地は止めました、今日から露天風呂です、という対極に振れるのではなく、駐屯地もあり露天風呂もあり、それを越えて中庸の道TAOがあるはずだ。私はその道を選択しようと思う。

 そう決断すると、とても楽になった。窮屈な服を脱いだような気分だ。
 また今度、樹萌先生にお会いするのが楽しみになった。新しい選択をした私が発している未来のエネルギーは、どんな風に変化しただろうか。それともそのままなのだろうか。