2003.10月掲載 能力開発研究会by不思議研究所 今回は、中国の超能力者である孫さんの瞑想を学ぶ会でのこぼれ話です。 不思議研究所のHPや「不思議の友」を読めば、 同じ話、あるいは似たような話が掲載されているはずですが、 自分が直接聞いた、ということがうれしくて、書いちゃいます。 孫さんの最近の念写の写真を、陳教授の解説でたくさん見せてもらった。 これはすごかった。どう猛な虎の顔がはっきりと写っているものがある。よく見ると、二つ写っている。何とか神殿という建物は、遠くからみたシルエットで美しい。文字を描いたものは、ペンライトで照らしたように美しい線を描いている。それが文字だとは分からなかったのだけれど、裏側から逆さにみると文字に見える。孫さんの意識が動いていったラインが、くっきりと描かれている。そして絵を思い浮かべるとそのまま映し出されるのに、文字だと左右が逆になるという。面白い。 やり方は、ポラロイドフィルムに直接念写するらしい。陳教授というのは孫さんの超能力の研究をされている人で、その方が強調していたのは、できた写真だけ見ると簡単に感じるかもしれないが、孫さんはこれだけのことをするのに、本当に大変な努力をしている、ということだった。 もりけんさんの中国での体験談が少し披露された。 夏から秋にかけての中国紀行で、何人かの超能力者に出会ったらしい。その中でもおもしろかったのは、瞬間移動をする女性の話だった。相談者の子供は重い病気で命が危ないという。と、その女性が「私が『命の玉』を取ってきます。お金をこれだけ用意してください」と言う。それでお金を用意すると、その女性は肌着になってお金を握りしめて優退離脱する。 しばらくして帰ってくると、手には『命の玉』が握られている!!! それでその子供は助かったと言う。 向こうの世界に行くと、門番が3人いて、最初の門番は仲良くなっているから通してくれるが、あとの二人に賄賂が必要なのだそうだ。 そこで私はすかさず質問 「その門番はお金を何に使うんですか?」 「あさ、分かりません」ともりけんさんは嬉しそうな返事だった。 この世では愛や命というのはお金では買えないものなのに、あの世では命はお金で買えるということなのだ。これはすごい話だ。 その女性は瞬間移動で、骨董品のツボだとか石だとかをどんどん持ってきてプレゼントしてくれるそうだ。 「これはどこかから持ってきているの?」ともりけんさんが尋ねると、そうだ、との返事。ある骨董品屋の棚一段全部持ってきてしまったりしているらしい。それじゃあ盗みじゃないですか、と、でも、彼女がモノを取ってきた店はとても繁盛するのだそうだ。 いわゆる善悪の判断を越えた話に、私は興奮した。 生まれ変わりの村の取材では、自分が死んだことに気づかない人が多いという話があった。どこかを歩いていて、妊婦さんにヒューっと吸い寄せられるようになって、気づいたら自分の手がとても小さい。なんでこんなに手が小さいんだ!! とびっくりして、それで自分が死んで生まれ変わったのだということに気づくという。そしてそれに気づくと、急速に記憶を失うらしい。それが肉体に宿ることの制約の一つらしい。 つまり私たちはずっと大人なのだが、肉体に制約されて全て忘れてしまうので、子供として生まれてそう振る舞うのだと言う。本当は大人で、子供のフリをしているだけだ、と。「純真な子供の心」がどうのこうの、というのも、実はそうではないのかも、という話だった。 中国の生まれ変わりの村のレポートは、精神世界で言われているあの世論とは少し違う。退行催眠や臨死体験、あの世の人たちとのコンタクトによる研究では、見えない世界の構造が随分明らかにされている。そう、たしかもりけんさんも幽体離脱をして見てきたはずだ。 生まれ変わりの村のレポートでは、あちらの世界の描写がほとんどなく、その辺をウロウロしていて妊婦さんのお腹にヒョイと入ってしまうような話ばかりなのだ。うーむ、どうなっているのだろう。生まれ変わりの村のあたりは、特殊な地域で、何か違う力が作用しているのだろうか。 そしてもりけんさんは「生と死の間はドア一枚があるだけで、そんなに大きな差があるわけではないらしい」「地獄は存在しない、天国だけしかない」というような事も言っていた。 だとしたら、記憶を忘れてしまうことや知識がないことが、私たちの死に対する恐怖感を造り上げているだけなのかもしれない。 孫さんの蘇生は、ますます腕があがり、かかる時間が短縮されたのだそうだ。 先日は何かの病気の人の食事会か何かで、料理として出てきたエビを蘇生させてしまったそうだ。「それは食べたんですか」と誰かが質問。 「いいえ、会の人が入れ物にいれて、宝物として持って帰りました」そうだ。 私はずっと聞きたいと思っていたことを質問した。 「良い悪い、するしないを別にして、私の個人的な興味でお聞きしたいのですが、蘇生の行き着く先は、死んだ人をよみがえらせることが出来るかということになると思うけれど、そこはいかがでしょうか」 「何度もお話しているのですが、全て自然に任せることにしています」蘇生のどこが自然なのだろう??と思いつつ聞くと 「いろいろな実験がされています。脳死状態の人の脳を少しづつ蘇生させたりということもしています。脳腫瘍で、その場所が悪くてどうしても手術できない人がいて、その蘇生をしたことがあるのですが、2ヶ月間孫さんは何も出来なくなってしまった。非常に疲れて回復するのにそれだけの時間がかかりました。」とのこと。 するともりけんさんが横から「孫さんがピーナツの蘇生をしてみせてくれた時に、ボクも随分いろいろと質問したんですよ。そしたら、ピーナツの魂が来るらしいのよね、それで聞いてみると『いや、このままで十分おいしいからこれでいい』とか言う奴は蘇生できないんだって。」メチャメチャうれしそうに話す人だ。 そういえば、魂は人間にだけ存在する、という説を唱える人もいたけれど、孫さんの世界では少なくても動植物には魂はあるらしい。そして蘇生したくないというと、しないらしい。 六こう占術の話しになりその流れから、もりけんさんはビックパンを始まりとして宇宙の終わりがあるとして、この2点がビックバンと同時に決まった。そしてその間にある全てのことが100%決定した、と今は考えていると言う。つまり私たちの運命は、余すところなくみごとに100%決まっている、と言うのだ。 そして、三次元に時間の軸を加えて四次元、そしてもう一つ時間軸を加えて五次元を考えると、自由が生まれるとかなんとか言っていたようだった。ここあたりは難しすぎるのと、早口すぎて理解不能。 そして私の質問 「全てが100%決まっているのだとしたら、人はなんのために生まれてくるのですか?」 「さあ。分かりません。あなたはどう思いますか?」出た、質問返しだ。この手には乗らないぞ。 「分かりません」 もりけんさんはしばらく無言で私の次の返事を待つ雰囲気だったが、やはり分からないというような事を言って、次の話題になった。 そして六こう占術のテキスト4巻の話しがすごい。先日3巻が発売になり、もちろん私も買ったのだけれど、4巻になって初めて「運命改善法」が登場するらしい。3巻までは卦をどう読みとるかの解説なので、当たらないことには始まらないのだけれど、当たって死んだり不合格だったり病気は治らなかったりなので、学んでいるとだんだん辛くなるのだ。 それが4巻の運命改善法では、究極の改善法として、何をしてもどうしてもダメな時には、わら人形に自分の名前を書いて色を塗り、真夜中の四つ角の交差点の真ん中で、それを燃やすのだと言う。そうするとその人の凶運が、わら人形が身代わりとなり消えるらしい。遂に出た、わら人形!!! 人に観られたら怖いし、何をどう説明しても信じてもらえないような方法だけれど、それでどうしようもない凶が改善されるならいいかもしれない。自分が何かの理由で警察に捕まるという時には、わら人形に縄とか手錠のようなものをかけて燃やすのだそうだ。そうするとその凶を免れるのだと言う。 六こう占術のテキストには、実際の例が豊富に載っている。つまりたぶんそれをやって運命が改善された人がたくさんいるはずだ。 うーむ。私の金運も4巻を見れば改善方法が分かるかもしれない。 難しすぎて挫折の毎日を送っている私だけれど、この話を聞いて俄然やる気を出した。運命は分かるだけでは意味がない。改善できて初めて占いの意味がある。 そして、運命が改善させることも、100% きまった運命の中の出来事なのだろうか? そうそう、もう一つミーハーいずみとして嬉しかったのは、食事の後にホテルの近くにある精神世界系古本屋に行く時と、そこから帰ってきた時、二回も孫さんと同じエレベーターに乗り合わせたのだ(*^.^*)。友人のQ ちゃんと孫さんグッズの腕輪や指輪を見せたりした。ラッキー。 もりけんさんは、全てを本当に楽しんでいる人。真っ白なスーツに白い帽子で布施明の替え歌をみんなに歌わせたり、それも孫さんの蘇生の替え歌だった。ここまでふっきれて楽しめるのは、一種の悟りかも。やっぱりなあ、この人は宇宙人だと思う。 孫さんは、とてもまじめで誠実な方。たぶん勝ち気。宇宙人とか神とかにすごいサポートをもらっている人だというのがうなずける。瞑想会では孫さんのエネルギーを受けて、泣き出す人が何人かいた。慈悲とか愛の波動を感じたのだそうだ。私のかたくなに閉じた第三の眼は、孫さんにエネルギーを入れてもらって少し影響を受けたようだったが、第七チャクラは、何もない時に全開になったりするくせに、こういう時には知らん顔だ。ちょっと残念。泣かずにはいられないほどの何かを、私も感じてみたかった。 なんといっても私が一番うれしかったのは、生の孫さんともりけんさんに会えたこと。そしてそのお二人が、ビデオや写真で見るのと同じだったこと。当たり前なんだけど、妙にうれしかった。 というわけで、たった一日だったけれど、本当にたのしい時間だった。そして、瞑想は大嫌いなのだけれど毎日ちょびっとずつやろう、と何度目かの決心をした。
2003.10月掲載
孫さんの最近の念写の写真を、陳教授の解説でたくさん見せてもらった。 これはすごかった。どう猛な虎の顔がはっきりと写っているものがある。よく見ると、二つ写っている。何とか神殿という建物は、遠くからみたシルエットで美しい。文字を描いたものは、ペンライトで照らしたように美しい線を描いている。それが文字だとは分からなかったのだけれど、裏側から逆さにみると文字に見える。孫さんの意識が動いていったラインが、くっきりと描かれている。そして絵を思い浮かべるとそのまま映し出されるのに、文字だと左右が逆になるという。面白い。 やり方は、ポラロイドフィルムに直接念写するらしい。陳教授というのは孫さんの超能力の研究をされている人で、その方が強調していたのは、できた写真だけ見ると簡単に感じるかもしれないが、孫さんはこれだけのことをするのに、本当に大変な努力をしている、ということだった。 もりけんさんの中国での体験談が少し披露された。 夏から秋にかけての中国紀行で、何人かの超能力者に出会ったらしい。その中でもおもしろかったのは、瞬間移動をする女性の話だった。相談者の子供は重い病気で命が危ないという。と、その女性が「私が『命の玉』を取ってきます。お金をこれだけ用意してください」と言う。それでお金を用意すると、その女性は肌着になってお金を握りしめて優退離脱する。 しばらくして帰ってくると、手には『命の玉』が握られている!!! それでその子供は助かったと言う。 向こうの世界に行くと、門番が3人いて、最初の門番は仲良くなっているから通してくれるが、あとの二人に賄賂が必要なのだそうだ。 そこで私はすかさず質問 「その門番はお金を何に使うんですか?」 「あさ、分かりません」ともりけんさんは嬉しそうな返事だった。 この世では愛や命というのはお金では買えないものなのに、あの世では命はお金で買えるということなのだ。これはすごい話だ。 その女性は瞬間移動で、骨董品のツボだとか石だとかをどんどん持ってきてプレゼントしてくれるそうだ。 「これはどこかから持ってきているの?」ともりけんさんが尋ねると、そうだ、との返事。ある骨董品屋の棚一段全部持ってきてしまったりしているらしい。それじゃあ盗みじゃないですか、と、でも、彼女がモノを取ってきた店はとても繁盛するのだそうだ。 いわゆる善悪の判断を越えた話に、私は興奮した。 生まれ変わりの村の取材では、自分が死んだことに気づかない人が多いという話があった。どこかを歩いていて、妊婦さんにヒューっと吸い寄せられるようになって、気づいたら自分の手がとても小さい。なんでこんなに手が小さいんだ!! とびっくりして、それで自分が死んで生まれ変わったのだということに気づくという。そしてそれに気づくと、急速に記憶を失うらしい。それが肉体に宿ることの制約の一つらしい。 つまり私たちはずっと大人なのだが、肉体に制約されて全て忘れてしまうので、子供として生まれてそう振る舞うのだと言う。本当は大人で、子供のフリをしているだけだ、と。「純真な子供の心」がどうのこうの、というのも、実はそうではないのかも、という話だった。 中国の生まれ変わりの村のレポートは、精神世界で言われているあの世論とは少し違う。退行催眠や臨死体験、あの世の人たちとのコンタクトによる研究では、見えない世界の構造が随分明らかにされている。そう、たしかもりけんさんも幽体離脱をして見てきたはずだ。 生まれ変わりの村のレポートでは、あちらの世界の描写がほとんどなく、その辺をウロウロしていて妊婦さんのお腹にヒョイと入ってしまうような話ばかりなのだ。うーむ、どうなっているのだろう。生まれ変わりの村のあたりは、特殊な地域で、何か違う力が作用しているのだろうか。 そしてもりけんさんは「生と死の間はドア一枚があるだけで、そんなに大きな差があるわけではないらしい」「地獄は存在しない、天国だけしかない」というような事も言っていた。 だとしたら、記憶を忘れてしまうことや知識がないことが、私たちの死に対する恐怖感を造り上げているだけなのかもしれない。 孫さんの蘇生は、ますます腕があがり、かかる時間が短縮されたのだそうだ。 先日は何かの病気の人の食事会か何かで、料理として出てきたエビを蘇生させてしまったそうだ。「それは食べたんですか」と誰かが質問。 「いいえ、会の人が入れ物にいれて、宝物として持って帰りました」そうだ。 私はずっと聞きたいと思っていたことを質問した。 「良い悪い、するしないを別にして、私の個人的な興味でお聞きしたいのですが、蘇生の行き着く先は、死んだ人をよみがえらせることが出来るかということになると思うけれど、そこはいかがでしょうか」 「何度もお話しているのですが、全て自然に任せることにしています」蘇生のどこが自然なのだろう??と思いつつ聞くと 「いろいろな実験がされています。脳死状態の人の脳を少しづつ蘇生させたりということもしています。脳腫瘍で、その場所が悪くてどうしても手術できない人がいて、その蘇生をしたことがあるのですが、2ヶ月間孫さんは何も出来なくなってしまった。非常に疲れて回復するのにそれだけの時間がかかりました。」とのこと。 するともりけんさんが横から「孫さんがピーナツの蘇生をしてみせてくれた時に、ボクも随分いろいろと質問したんですよ。そしたら、ピーナツの魂が来るらしいのよね、それで聞いてみると『いや、このままで十分おいしいからこれでいい』とか言う奴は蘇生できないんだって。」メチャメチャうれしそうに話す人だ。 そういえば、魂は人間にだけ存在する、という説を唱える人もいたけれど、孫さんの世界では少なくても動植物には魂はあるらしい。そして蘇生したくないというと、しないらしい。 六こう占術の話しになりその流れから、もりけんさんはビックパンを始まりとして宇宙の終わりがあるとして、この2点がビックバンと同時に決まった。そしてその間にある全てのことが100%決定した、と今は考えていると言う。つまり私たちの運命は、余すところなくみごとに100%決まっている、と言うのだ。 そして、三次元に時間の軸を加えて四次元、そしてもう一つ時間軸を加えて五次元を考えると、自由が生まれるとかなんとか言っていたようだった。ここあたりは難しすぎるのと、早口すぎて理解不能。 そして私の質問 「全てが100%決まっているのだとしたら、人はなんのために生まれてくるのですか?」 「さあ。分かりません。あなたはどう思いますか?」出た、質問返しだ。この手には乗らないぞ。 「分かりません」 もりけんさんはしばらく無言で私の次の返事を待つ雰囲気だったが、やはり分からないというような事を言って、次の話題になった。 そして六こう占術のテキスト4巻の話しがすごい。先日3巻が発売になり、もちろん私も買ったのだけれど、4巻になって初めて「運命改善法」が登場するらしい。3巻までは卦をどう読みとるかの解説なので、当たらないことには始まらないのだけれど、当たって死んだり不合格だったり病気は治らなかったりなので、学んでいるとだんだん辛くなるのだ。 それが4巻の運命改善法では、究極の改善法として、何をしてもどうしてもダメな時には、わら人形に自分の名前を書いて色を塗り、真夜中の四つ角の交差点の真ん中で、それを燃やすのだと言う。そうするとその人の凶運が、わら人形が身代わりとなり消えるらしい。遂に出た、わら人形!!! 人に観られたら怖いし、何をどう説明しても信じてもらえないような方法だけれど、それでどうしようもない凶が改善されるならいいかもしれない。自分が何かの理由で警察に捕まるという時には、わら人形に縄とか手錠のようなものをかけて燃やすのだそうだ。そうするとその凶を免れるのだと言う。 六こう占術のテキストには、実際の例が豊富に載っている。つまりたぶんそれをやって運命が改善された人がたくさんいるはずだ。 うーむ。私の金運も4巻を見れば改善方法が分かるかもしれない。 難しすぎて挫折の毎日を送っている私だけれど、この話を聞いて俄然やる気を出した。運命は分かるだけでは意味がない。改善できて初めて占いの意味がある。 そして、運命が改善させることも、100% きまった運命の中の出来事なのだろうか? そうそう、もう一つミーハーいずみとして嬉しかったのは、食事の後にホテルの近くにある精神世界系古本屋に行く時と、そこから帰ってきた時、二回も孫さんと同じエレベーターに乗り合わせたのだ(*^.^*)。友人のQ ちゃんと孫さんグッズの腕輪や指輪を見せたりした。ラッキー。 もりけんさんは、全てを本当に楽しんでいる人。真っ白なスーツに白い帽子で布施明の替え歌をみんなに歌わせたり、それも孫さんの蘇生の替え歌だった。ここまでふっきれて楽しめるのは、一種の悟りかも。やっぱりなあ、この人は宇宙人だと思う。 孫さんは、とてもまじめで誠実な方。たぶん勝ち気。宇宙人とか神とかにすごいサポートをもらっている人だというのがうなずける。瞑想会では孫さんのエネルギーを受けて、泣き出す人が何人かいた。慈悲とか愛の波動を感じたのだそうだ。私のかたくなに閉じた第三の眼は、孫さんにエネルギーを入れてもらって少し影響を受けたようだったが、第七チャクラは、何もない時に全開になったりするくせに、こういう時には知らん顔だ。ちょっと残念。泣かずにはいられないほどの何かを、私も感じてみたかった。 なんといっても私が一番うれしかったのは、生の孫さんともりけんさんに会えたこと。そしてそのお二人が、ビデオや写真で見るのと同じだったこと。当たり前なんだけど、妙にうれしかった。 というわけで、たった一日だったけれど、本当にたのしい時間だった。そして、瞑想は大嫌いなのだけれど毎日ちょびっとずつやろう、と何度目かの決心をした。